出世を諦めた高校教員のブログ

公立高校教員をしていますが、嫌気がさして30代にしてこれからの人生は余生と自覚した人間のブログ。

なぜ教員になったのか

私は、なぜ教員になったのだろう。

 

教科がばれると嫌なのでぼかすが、私が専門とするのはおそらく多くの人が「役に立たない」と切って捨てる分野である。

 

大学は教育学部ではなく、その「役に立たない」と言われそうな分野で4年間、勉学に勤しんだ。

といっても、一般的な文系大学生であり、人並みにバイトやサークル活動に精を出し、決して本気で取り組んだとは言い難いのだが・・・

 

大学はそれなりに楽しかった。時は流れてあっという間に就活の時期を迎えた。

当時は今ほど就活の開始時期にうるさくなく、3年の夏くらいからインターンに出かける学生も多かったと思う。

 

なんとなく過ごしてきた私は、就活にもそれほど力を入れるわけではなく、適当に終活をしたが、運よく2つの会社から内々定を得た。

リーマンショック直後の不況期だったので、運がよかったのかもしれない。

 

そのような状況の中で、私の中にある想いが沸き上がった。

 

「このままでいいのだろうか」

 

遅れてきた厨二病、もしくは内定ブルーなどと言われる状況であろう。

今の大学生からは考えられないだろうが、当時は大学三回生のうちに多くの生徒が就職先を決める状態であった。

私も決して早くはなかったが、四回生の四月にはすでに内々定を得ている状況であった。

 

ここで教員免許を得るにあたって避けられないイベント、教育実習があった。

イベントなどと言うと多くの現職教員は怒るだろうが、実際多くの教育実習生は教員になる気はないのだから実のところイベントである。

 

私も教員になるという意思は正直、なかった。親の助言で、教職課程を履修していただけである。

この時教職課程を履修していなければ今日の地位はなかったわけだ。親には感謝せねばなるまい。

 

私は多くの学生と同じように、母校の高校で実習をさせていただいた。

先生方は親切で、生徒たちはみな愛想がよく、実習生に対して好意的で、授業が下手でも文句を言わない。

そして、授業に、部活に、学校行事に一生懸命取り組む生徒を見て、大いに感化されてしまうのである。

 

これだ。

 

と思ってしまったのだ。しかも、教員になれば大学で学んだことを生かせるではないか!

私が教員になった理由など、この程度である。昔から強い意志や熱意を持っていたわけでは決してない。

しかし、そこからの行動は意外に早かった。

親を説得し、私は折角得た内々定をあっさりと断り、教員採用試験に向けて勉強を始めた。

 

現実は甘くない。

 

結果を言うと、教員採用試験の一次試験すら突破できなかった私は、またも親を説得し、脛を齧って大学院に進学するのだ。

実際に教壇に立ったのは教育実習から三年近く経ってからである・・・

幸い採用試験に合格できたからよかったものの、危うく院卒ニートが誕生するところであった。

 

教員になって10年経つ。未だ教育実習で教えた生徒たちより優秀な集団には遭遇していない。

私の母校は決してトップ校ではなかった。それでもこうなのである。

教員免許を取ろうとする人は学業優秀な人が多い(おそらく本当に優秀な人は教員にはならないだろうが、それはまたの機会に)。

母校で教育実習をすると、教えるのは当然、それなりに優秀な生徒たちである。

この体験を持って、教員を志すのは相当に危険である。

もし教育実習で感化されて教員になろうとしている方がこれを読んでいるなら、今一度考えてもらいたい。

学校でよい成績を修めることや、大学受験をモチベーションにできる生徒は全体のうちほんの一握りである。

 

たまに、底辺校(この言葉を教員が使ってはいけないが、他に表現のしようがないので使う)から頑張って教員になったという人がいる。

そのような人は本当に立派である。人間は雰囲気に流される生き物だ。

周囲が必死に勉強していれば自分もするし、勉強そっちのけでバイトや恋愛に精を出してれば自分もそうする。

底辺校というのはまともな大学に行っている人間からすると想像を絶する世界である。

そのような環境から努力して採用試験に合格した人のほうが、組織や生徒に良い影響を与えると思うし、生徒の心情もよく理解できるだろう。

 

じゃあお前はどうなんだ?という声が聞こえてきそうだ。

私には色々な矛盾がある。変説も著しい。そんなの、十分認識したうえで、これを書いているのだ。

ほっといてくれ。