教員志望で大学院に進学する必要ある?
公立学校の教員志望であえて大学院に進学する意味はあるだろうか(私立は知らん)。
私のように採用試験に受からず進学するのではなく、一発合格する実力があるのに教員になるためのステップとして「あえて」である。
経験上、ない。
かくいう私も大学院(修士)を出ている。したがって所有する免許は専修免許だ。
では、専修免許を所有していてよかったことは何か。
経験上、ない。
残念ながらこれが現実である。
専修免許を所有していても給料は増えない。
正確に言えば、多少増えるかもしれないが、生涯賃金で考えると数年早く就職したほうがよっぽど高い。
配属で優遇されることもない。
修士どころか、博士号を持っているのに指導困難校に配属された同期もいた。
中には、いきなり進学校に配属されるケースもある・・・
が、たまたま空きがあってそれが埋まらなかった場合に限られているように思う。
結論として、給与面、待遇面ではほとんどインセンティブがない。
では、実際の職務の中で何かメリットがあるか?
ほとんど、ない。
私が通っていた教育系の大学院では、学級崩壊や問題行動の事例研究をさせられた。
それは、理想と現実のギャップを埋めるのには多少役に立ったかとは思う。
だから「ほとんど」だ。授業力や学校運営能力には全く寄与していない。
しかしながら、私は学歴が評価されないことを一概に非難すること気持ちにはなれない。
高等学校とは「高度な普通教育」を施す場であって、大学でするような「研究」を指導する場ではないからである。
多くの高校では、教科書の内容を生徒に理解させることが基本であって、教科書を超えるような内容を指導できないと生徒がついてこないような学校は圧倒的少数だ。
また、教科書に載っていない内容を教えることが教員の腕の見せ所だと考えるのも間違っていると私は考えている。
近年では「探究」科目の登場や、一部の進学校では研究まがいのことをやるようになっているので、そのような場では活躍の機会があるかもしれない。
それも、配属されたらラッキー程度の話である。
純粋に学問を追求したいのであれば、修士課程でも博士課程でも行けばいい。
学問に対して愛着がある先生に教わることができる生徒は幸せだ。
しかし、公立学校教員になろうとする者が「学歴」を拠り所としたり、それによって何らかの利益を得ようと考えることは自他ともに不幸になるのでおすすめしない。